神谷の仕草

『火花』

p.21

「神谷さんは目に落ちかかる前髪を、時折指で払った」

 

この仕草から、「そやから、あんなぁ〜」とう神谷の言葉が聴こえてくる。

 

小説を書く人たちをとても尊敬している。

 

景色や仕草の描写から、

暗に登場人物たちの気持ちの変化や、

これから起きることを暗示することは

一つの習得できる技術なのかもしれないが、

自分には到底難しいものだとずっと思ってきた。

 

それと、頭に浮かぶ数々のアイデアやストーリーを

どうやってすぐに書き留めたり記憶することかできるのか不思議でならない。

どんなに急いでも、書くスピードは思考に追いつかないはず。

キーワードを書き留めて記憶をなんとか留めるのであろうか。

あとからパズルのように整理してはめ合わせるのだろうか。

 

千円未満でそういった作品の数々を手に取り、

自分の血肉とできるというのは非常に有り難いことだと思う。

自分が書籍を購入することで、作家にその対価を払い

次の作品を期待することは、自分への投資だと考えている。

 

自分が中古本や図書館を利用しない理由は、

作家へ直接対価が払えないからである。

読書はお金を節約するところではないとずっと決めている。

確か、学生のころに読んだ「東野圭吾のエッセイ」の影響だったと思う。 

 

テレビドラマなど場合は、この点難しいが、

DVDを購入することが現在唯一の方法なのかもしれない。

(これまでは、『龍馬伝』『パットとマット』のみ)

最近のほとんどの映画は、日本とNY間の機内で見ているので、

(往復平均8本)

航空券代で間接的に払っている感覚がある。

 

 

<運動>

ラン(50分、from lab to 86th street to pick up Joe from his friend house)

 

 

火花の景色

『火花』を読み終え、

今は

『ことり』(小川洋子)

 『皇室の祭祀と生きて』内掌典57年の日々(高谷朝子)

 

『火花』の舞台としてよく出てくる

井の頭線、井の頭公園、吉祥寺は

高校が近く、小説のなかの景色が目に浮かぶ。

高3の夏には友達と井の頭公園の池に入って泳いで遊んだこともあった。

小中のころ、

『ナウシカ』の連載が読みたくて

アニメージュを買いに吉祥寺のアニメイトに自転車で通ったのが懐かしい。

当時は、ドラえもんのスネ夫が実在した場合、

本当はどんな髪型なのかよく議論されていた。

釣り具屋さんのバス用ルアーを求めてアニメイトの後に寄ったりもしていた。

今ではたいした距離ではないのだろうが、

子どものときには、白鷺から吉祥寺の自転車で往復となると一大イベントだった。

 

『火花』

p.40-41

「論理的に批評するのは難しいな。新しい方法論が出現すると、それを実践する人間が複数出てくる。発展させたり改良する人もおるやろう。その一方でそれを流行だと断定したがる奴も出てくる。そういう奴は大概が老けてる。だから、妙に説得力がある。そしたら、その方法を使うことが邪道と見なされる。そしたら、表現上それが必要な場合であっても、その方法を使わない選択をするようになる。(途中、略) だから、これだけは断言できるねんけど、批評をやり始めたら漫才師としての能力は絶対に落ちる。」

 

この神谷の発言は、

研究者にも正に当てはまるので、読んでドキッとした。

reviewを書いたり

学会やミーティング、グラントなどの審査会を切り盛りしていくのは、

実際に手を動かし試行錯誤する実験生活に比べて、格段と楽である。

それまでの経験を生かして

言葉を巧みに使い、その場その場で対応すれば良いだけだから。

自分も一時期このやり方が楽なのを覚えてしまって

「このままでは駄目だ」と我に返った。

手を動かし続けて、

一つ一つの実験結果をまとめることが

如何に手間ひまかかるかを実感しつづけ、

かつ、想定外の結果がでてもすぐさま反応できるような

現役プレーヤーでいたいと再認識した。

 

ここでの神谷の考え方に同意する。

 

95%のマジョリティーの研究者になるつもりは到底ない。

彼らに周回遅れのような圧倒的な差をつけるには、

日々自分の腕と感を磨き、メンバーを励まし、一緒に切磋琢磨して

常に成長しつづけなくてはならない。

 

<運動>

ラン(from lab to home、追い風で身体が軽くて5分速く、トータル30分)

成とアメフットボールのキャッチーボール(30−40分)

 

当初のルールは守れず、30−40分はこのブログに費やしている。。。 

PhD graduation

今日は夕方PhD graduation ceremonyがあり初めて出席。

天気がとても心配だったが、何とか降らずに持ってくれた。

ざっと500名ほどの参加のようで、

自分の最初の学生さんも今年卒業。

あっと言う間の4年間だった。

最初の2年は毎日お互い家族よりも一緒に長く過ごしたと思う。

今月末の博士公聴会が無事に終えられることを願う。

 

『火花』

p.21

「神谷さんは目に落ちかかる前髪を、時折指で払った」

 

p.40-41

「論理的に批評するのは難しいな。新しい方法論が出現すると、それを実践する人間が複数出てくる。発展させたり改良する人もおるやろう。その一方でそれを流行だと断定したがる奴も出てくる。そういう奴は大概が老けてる。だから、妙に説得力がある。そしたら、その方法を使うことが邪道と見なされる。そしたら、表現上それが必要な場合であっても、その方法を使わない選択をするようになる。(途中、略) だから、これだけは断言できるねんけど、批評をやり始めたら漫才師としての能力は絶対に落ちる。」

 

p.89

「最後の一口を頬張りながら、井の頭公園入り口の緩やかな階段を降りて行くと、冬の穏やかな陽射しを跳ね返せず、吸収するだけの木々達が寒々とした表情を浮かべていた。」

 

p.107

「真樹さんに手を引かれる、あの少年は世界で最も幸せになる。真樹さんの笑顔を一番近くで見続けられるのだから。いいな。本当に羨ましい。七井池に初夏の太陽が反射して、無数の光の粒子が飛び交っていた。」  

 

p.117

「楓の根の辺りから青っぽい匂いがしていた。静かに揺らぐ木々が街燈に照らされ、地面に影を作っていた。僕は公園の風景を眺めながら引き攣りそうな顔面を両手で撫でていた。」

 

<運動>

午前、成とアメフットボールのキャッチボール(30分)

夜、賢を抱っこしてのスロースクワット(5x30回)

 

雨の一日

やはり、全身筋肉痛。

成は全く肩に疲れがないようである。

あれだけずっと長い時間アメフットボールを投げ合っていたのに痛みがないとは。。

 

成のピアノのレッスンの間、20分『火花』を読んだ。

他の40分は、ラボのプロジェクトをノートにまとめて整理した。

 

世の中にどれだけの同年代でいるのか知らないが、

自分は携帯フリーの生活をずっと続けている。

一応は持ってはいるが、いつも家に置きっぱなしか

電源が切れたままバッグのどこかに入っている。

3週間以上切れたままでどこにあるか忘れてたこともある。

稀にだけ嫁さん(スマホゆーざー)にかけるだけ。

でも、つながったためしがあまりない。。。

持っているのは連絡先が書けないと困るからだけ。

 

どんなによく考えても

携帯(スマホ)を持って使っても

自分の研究・仕事に対してポジティブな要素が見当たらない。

ラボにいるときはずっとミーティングや実験に時間を費やしていて

仮に携帯をもっていて鳴っても取れない場合がほとんどなので

部屋に連絡を入れてもらいメンバーに言付けをしてもらった方がよい。

以前、携帯が鳴るとその後気になってしまい

かけ直すまで大事なミーティングや用件に集中できなかった

危ない・苦い経験があった(実験中や運転中など)。

 

ミーティング中に携帯に出るのは、今でもマナー違反であろう。

 

もっぱら、公園や遊園地でスマホにくいつくお父さんたちは、

子どもたちがお父ちゃんのスマホ中の反応がとても薄く

いい加減なののをよく知っていることにちゃんと気がついていないと思う。

 

成になぜポケモンGoなどのゲームもできるスマホを持っていないのか聞かれたときに

「お父ちゃんが携帯ばかりみて成の話をあまり聴いてくれなかったらどう思う?」

と聞いたら、

「それはいやっ」と即座に答えていた。

 

以前、コニーアイランドで、

娘がメリーゴーランドに乗っているのに

隣のお父さんはスマホをずっといじっていて

その娘さんがまわってくる度に最初は手を振っていたが、

途中からスマホに釘付けでまわってくる娘さんに目もくれなくなった。

その娘さんが手を振ろうとして悲しい顔をしていたのが忘れられない。

そのお父さんにはそこまで悪気はないと思うが、

自分が仮にスマホをもっていたら子どもたちに同じことを必ずしてしまうと思う。

自分がワークホッリクでマルチタスクができないのがわかっているだけに、

スマホを持ったらおしまいな気がする。

 

<90歳まで現役のために>

1)焼酎を毎日少し飲む

(焼酎がない場合は、ウォッカ、ウィスキーもしくはワイン)

ビールやシャンパンは身体が冷えてしまう(頭痛が最近増えた)ので控える

2)ナッツ類、酸っぱいもの(レモンなど)、苦いもの(生姜など)を毎日食べる

3)汗をよくかく

4)水をよく飲む

5)よく話す

 

<運動>

腕立て30回

90歳まで

90歳まで現役研究者でやっていこう

(もしくはあと50年以上研究ができる)と考えると

色々と今のことやこれからのことについての視点が変わって面白い。

 

身近に中西香爾先生がいらっしゃるので、

現実に可能だというイメージが湧く。

 

学内のシニアの教授と

『Do you know Koji? He is so amazing!』などと話題で盛り上がり

本題の研究予算の話そっちのけになったこともある。

中西先生こそ、我々のレジェンドであり、目標となる方である。

 

今のコロンビア・ニューヨーク生活だと

自家用車に頼らないで生活(通勤・買い物・食事)ができるので

90歳まで現役が出来る気がする。

まずは健康第一。

 

『火花』

飲んだ後に、吉祥寺から上石神井へ歩いていくシーンがあり、

あの道を歩いっていったのかなと、イメージがとても膨らんだ。

仕草や風景描写などが所々入っていて、

それらが、徳永・神谷のどういった心情を表しているのか理解したく、

いつもよりも丁寧に読むようにしている

 

『皇室の祭祀と生きて』

正月行事の慌ただしさの一方、

一つ一つの食事が目に浮かび、味や匂いが伝わってくる。

「次清」についての手順は、非常に勉強になる。

丁寧な言葉使いによる説明から、

一つ一つの作業、手順が真に伝わってくる。 

 

<運動>

午前、学校が休みの凛奈を連れて、セントラルパーク周回バイク(トータル40分)

夕方、ラン35分(from lab to home)

帰宅後そのまま、成とアメフットの練習1時間半

(明日肩が上がらないことだろう。。。)

火花

今は、下記の2冊。

 

『火花』(又吉直樹)

『皇室の祭祀と生きて』内掌典57年の日々(高谷朝子)

 

『娘に語るお父さんの歴史』(重松清)を踏まえて、

自分にとっての歴史とはなんだろうかと考えている。

子どもたち、成、凛奈、賢の3人に、

「お父ちゃんは、日本でこんな風にこんな時代を生きていたんだよ」と

話をする機会があるといいな。嫁さんも交えてわいわいと。

 

子どもたちは、日本と中国のハーフで、かつ米国生まれ・育ち。

 

自分や嫁さんの価値観や育ってきた環境を子どもたちと共有するのは

とても困難なことだとはわかっている。

日本と中国と国は違っても、

うちの夫婦は似た者同士で

笑い話の多い、、、雑草のような無謀な子ども時代を過ごしてきたようである。

(何度か、行方不明か命を落としてもおかしくない出来事が多々ある)

 

子どもたちの日本語の読み書きには、特に力を入れていない分、

このブログを子どもたちが将来読んで、

お父ちゃんが言ってたおもしろそうな本を読むために日本語を少しやってみるか、

と自発的に勉強してくれれば、それに越したことはないと思う。

日本の書籍はやはり米国よりも充実していると感じている。

週末を日本語の学習・補習校に費やすくらいならば、

近所のセントラルパークやリバーサイドパークを探索し、

走りまわり、サッカーなどスポーツに汗を流す子ども時代を過ごして欲しい。

 

自分の思い起こせる子ども時代からの出来事・アイテムなど:

 

ファミコン

ビックリマンチョコ

エリマキトカゲ

コロコロコミック

週刊少年ジャンプ

千代の富士

小錦

バース・クロマティ

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(宮崎勤)

昭和から平成

消費税

湾岸戦争・掃海艇・自衛隊派遣

雲仙普賢岳噴火

米不足・タイ米輸入

非自民党政権

阪神・淡路大震災

オウム真理教・地下鉄サリン事件

マイケル・ジョーダン

野茂メージャー移籍

神戸連続児童殺傷事件

冬季長野オリンピック

ユーロ

新潟県中越沖地震

東日本大震災

 

<運動>

腹筋20回

 

核家族

 

東芝って、東京芝浦の略だと知らなかった。

 

「核家族」というネーミング、

日本のオリジナルなのかと思いきや、

「nuclear family」で検索できるように

欧米でも使う言葉だと知った。

この10年近く「nuclear family」って

実際に耳にしたことがなかったので驚き。

 

自分は、とても幸せな時代を生きていて

運がとても良いと思う。

親戚一同、子どもたちには成長に関わる深刻な病気もなく

家族もみな大病もなく長生きしている。

家族全体、疾患の大きなリスク遺伝子変異が少ないのかもしれない。

(唯一気をつけるべきは、糖尿病であろう)

 

ラボの本棚にある

『流れる星は生きている』(藤原てい)

に目をやると、その思いは一層強くなる。

母が以前、

うちの高校の保護者会主催の藤原ていさんの講演会に行ってきたと

話していたことが思い返される。

どんな話だったんだろうか。

父と同じ長野県出身、

そして、次男である藤原正彦さんは同じ西高出身ということもあり

『流れる星は生きている』(藤原てい)は定期的に手にとることにしている。

 

<運動>

ラン40分

腕立て30回

子どもたちとアメフットやサッカー