Laughter & Canary

昨年から考えていて

頭の中で曲が止まらず

繰り返し考えを巡ってもどうしようもなくなって

ここに書き留めてひとまず消化することにする

自分としては、

ここでなんとか折り合いをつけないと

前に進めない・眠れない

 

『Laughter』

髭男の最高傑作・名曲

 

この曲を聴くと

MVのように希望や勇気が湧き、前向きになる人たちが多いのだろう。

でもそれとは全く逆に、

自分は、現実の絶望と決着をつけさせられるような

猛毒な側面があって一度呑まれたら出られなくなる恐ろしさを感じる。

そういうこともあって、

何かをしながらこの曲を聴くことは一切できない。

 

一度聴いてから何度も繰り返し

この曲とMVがとても響くその感動の理由を自分なりに探してきて

「励まし、その先の未来へ」と「絶望の現実との対峙」という

両義的な大きな振り幅がこの曲の魅力で

末恐ろしく、自分の状態をよく考えてから

毎回聴くべきだというのが結論になった。

 

JasmineとLilyという女の子が築き上げて飛び立つ熱気球のMVは

前者の解釈に沿っている構成のようだけど、

何故この二人が自分たちのだけの世界で

懸命にもがいているのだろうか。

その熱気球はどこへ。

 

三浦くんと竹内さんは

この曲を聴いたからこそ

苦悩を絶望へと昇華させたのではないだろうか。

 

 

『Canary・カナリア』

 

Chelsea Pierのベンチでハドソン川を眺めながら

初めてこの曲を聴いた時、

ゾッとして内臓をえぐられるような怖さを覚え

混乱したのを今でもよく思い出す。

毎回『Stray Sheep』を最後まで聴くのを

どうしようか迷いながら毎回結局聴いてしまう。

この曲は、愛し合う二人の決意と心中のストーリーなのではないか。

MVがもしもあるならば

最後のシーンは

2羽のカナリアがそっと巣の中で

静かに身を寄せる(もしくは、息を引き取る)シーンを想像していた。

 

インタビューでも米津くんは

コロナ禍にできたこの楽曲を出すのを

最後まで悩んでいたと答えていた。

 

しかしながら、

是枝監督は、

出会い・衝突・葛藤・別れから

希望を見据えるMVに仕上げている。

 

同じ楽曲なのに

これだけ受け取り方が違うものなのか、

作り手の意図しない方向にも

自分のように解釈が展開しうるものなのか。

 

歌詞・曲は5分くらいだけなのに

そこから想像させるストーリーや解釈は

無限に拡がることが多々ある。

小説や映画とは全く異なる。

 

藤原聡と米津玄師という稀代の天才音楽家は

光と影、薬と毒、天使と悪魔の両方を兼ね備え

振り子の幅が想像を絶する。

だから、聴く我々は熱狂する。

彼らの手にかかれば、

聴衆たちを魅了するポップスはお手のものなのだろうが、

一番葛藤して苦しんでいるは当の本人たちなんだと想像する。