自己啓発本のまとめ 『ラストレター』『ヨチヨチ父 とまどう日々』

ーこの数週間のまとめー

 

自己啓発本をかなりの数を読んできて、やっとわかったことは、

表現する言葉は違うにせよ、

共通されている要素があり、どの職種でも役にたつということで

もうこれ以上読んでも新しく得られないなと。

 

嫁さんに「あんたが買う本はつまらん!手に取る気にならない!」と言われて

かれこれ5年、やっと自己啓発本の購入の終焉である。

今回の帰国中に本屋に寄っても、

もうこういった自己啓発や新書コーナーに寄らなくなってしまった。

 

これまで自己啓発本として繰り返し読んできたのは、

下記の将棋、スポーツ、ビジネス分野で

 

羽生善治、谷川浩司、米長邦雄、落合博満、森繁和、野村克也、岡田彰布、金本知憲、黒田博樹、長谷部誠、

青木功、三木谷浩史、藤田晋、見城徹

 

これからは何かのときにまた読み直してみようか。

 

今回の帰国中で神戸三宮のアパホテルに泊まったときには、

部屋に置いてあった

『強運 ピンチをチャンスに変える実践法』(元谷芙美子)を読む。

明石家かますと大学・大学院の話は特にとても素敵だった。

 

これまで自己啓発本が本棚から手に取り易かった理由は、

百田尚樹『大方言』で指摘のある通り、ズバリ、

栄養剤のように、

読むと、

元気になる(気がする)

自分もできている(気がする)

いや、自分ももっとできる(ような気がする)

のである。

読んで疲れない・元気になりやすいからだったのだろう。

 

数々のヒントをもらいつつ

実際の自分の研究などに如何に落とし込むのか

効き目が落ちないように、具体的な整理・対応ができたことで、

習慣化できるようになったと思う。

 

 

この数日は、移動の合間に、

『君の脾臓を食べたい』(住野よる)

『ラストレター』(さだまさし)

『ヨチヨチ父 とまどう日々』(ヨシタケシンスケ)

『錦繍』(宮本輝)

『英語の品格』(Rochelle Kopp 大野和基)

『永遠のゼロ』(百田尚樹)

 

 

『永遠のゼロ』(百田尚樹)

『君の脾臓を食べたい』(住野よる)

を読んで、

これから小説を買う、映画を観る場合は、

「登場人物が死なない、殺されない」をルールにしてみようかと思う。

誰かが亡くなれば、悲しいし、辛く・泣きたくなるものだろう。

機内での映画『三度目の殺人』を観たあとにそう決めようと。

もうやめよう。

 

これまでの、

『「少年A」この子を生んで......』(少年A父母)

『息子が人を殺しました 加害者家族の真実』(阿部恭子)

の流れはここで終わりにしようと決める。

自分自身が被告になる可能性はかなり少ないにしろ、

突然自分や、家族や子供が被害者としてや被告として

事故・事件もしくは天災に巻き込まれるといった

全く想定していないことも人生に起こるかもしれない。

最悪の最悪を考えて、一度はこういったものを読まなくては、

と思っていたが、

何せ読後の気が重い。

最悪の事態・可能性も考えなくてはいけないのだろうが、

想像以上にその後の胆力が必要で

読み方を間違えると飲み込まれる難しさのある

映画・書籍であった。

 

『ラストレター』(さだまさし)

「この、オxxxヤローっ」て叫ぶ、大越さんって

あの、憎っくき「。。。」と一緒ではないか!

繊細で気が優しいくせに、強がり・卑猥な単語を連呼するところなど全く一緒である。

それだけに、大越さんには身近に感じる愛着もあって最後まで楽しく読めた。

 

『ヨチヨチ父 とまどう日々』(ヨシタケシンスケ)

は、電車のなかで、

「そうそう」と納得して、ついつい笑ってしまうのだが、

NYに戻って、嫁さんや妹に読んでもらったら

「まぁ、そうそう。だから、ダンナ・お兄ちゃん、使えない!」とか言われて、

間違いなく、とばっちりを食うことだろう。

見せるべきか、どうしようか、迷う。

間違いなく名著(世の中のお父さんにとっては、迷著)

『なつみはなんにでもなれる』の次に好きな作品。

 

『錦繍』(宮本輝)

を先ほど読み終える。

今回の帰国の最中に宮本輝を手にとったのは、

「宮本輝が好きだ」と言っていた先輩の言葉を

ふっと思い出したからである。

以前に比べて、書店内でスペースが少なくなっているのには気づいていたが、

岡山駅で時間調節をしているときに駅内の本屋さんに

『錦繍』だけが置いてあった。

昭和57年の作品。解説は黒井千次。

 

『英語の品格』(Rochelle Kopp 大野和基)

ある程度のレベルまで英語が到達している、

米国社会に溶け込み始めている人向けであり、

内容の半分は、自分でも実経験から使うようにしている表現だったのだが、

それが定着できるようになったのも

ラボをスタートして最初に入ってくれたDanくんが

丁寧な英語をいつも使っていてくれたおかげである。

彼の英語を真似ようとしていたうちに身についていた表現が

本書にはいくつも記載されており、Danくんには改めて感謝である。