3rd grade field trip

今日は、成の学校(3年生)の遠足の付き添いとして

マンハッタン南部へ。

New Yorkのこれまでの歴史や

何故Wall Street、Water St.、 Beaver St.、Peal St.やBowling Greenという名がついたかなど

色々とガイドの人に習いながら移動の連続。

世界各地を回ったセイリングシップに乗ったり、

Portal down to Old New Yorkにも寄る。

 

9時半から3時半まで座ったのは昼食の5分間だけ

あとはずっと歩いたり立って説明を聴いたりで

とてもよいエクササイズだったと

担任の先生と笑いながら帰ってきた。

とても勉強にもなったし、心地よい疲れだった。

 

 

今は通勤時間で、

『羽生善治 闘う頭脳』羽生善治

を読んでいる。

これが3か4回目だったと思う。

 

P. 17

。。。そのときに大事だと思ったのは、たとえ間違いでもいいから、それぞれの戦法に対して、とりあえず大まかな見通しを立てる、ということです。一見華やかだが、この戦法はそれほど先がないとか、多少の可能性はあるとか、1年後にはより研究が進んでいるからその時考えようとか。そして、自分のスタイルに合っているかいないか。未知の情報に出会ったときは、それが自分に必要なのか、大まかに見通すということですね。

 

P. 35

大山先生のように、「落ちたら引退」とおっしゃていたのは、大きな負担になっていたとは思いますが、逆にそう言い続けていたからこし、地位を守りつづけられたのかな、という気もするし、微妙なところでしょうね。

 

P. 45

ところで、将棋の世界において「頭が良い」「頭が悪い」とは、定跡や手順といったもともと有している知識に対する理解をどれだけ深める力があるか、で評価されます。まったく知らないものに対して適応する力の多寡で決まるわけではありません。

また、将棋では、はっきりした答えが出ないものについて考え続ける能力が必要とされています。もちろん、答えがわかっているものを他人よりも速く解析できる、という能力も必要ないわけではありませんが、情報を分析して答えを見つけることは、時間を費やせば誰にでもできます。その時間を費やさない人もいますが、それはまた別の話です。時間さえ費やせばそこで差は生じないので、結局はわからない部分でいかにして相手より半歩先に出るかが大事になってくる。だから、実際にプロ棋士としてやっていくには、すっきりしないままで、先へ進んでいけるかどうかが大切な能力とされていて、その能力がある人は「頭が良い」ということになるのです。