学校で学んだこと、覚えていること

p.151 「学校で学べること」

萩元 それでねきのうも少し話が出ましたけれどね、今の子供たちは、幼稚園とかその塾のころからね、自分といっしょに勉強しているのはね、競争相手だとか敵だとか思うような、そういう意識が潜在的にあるらしい。

広中 はあ。

萩元 こりゃたいへんなことじゃないかという気がするんだ。ぼくは、子どもがいないからあんまりわかんないんだけどね。そういう話を聞くとね、ちょっと恐れ入る。昔は、同級生なんかは、友達なんだ。友達とは仲良くしましょう。

小澤 そうそう、そうそう。

萩元 それがあったけど、最近はいっしょに勉強している奴が、一人体が悪くなって休んだりすると、それは得なんだという、極端に言えばそういう考え方が出てきているみたい。

広中 たとえば、相手の気持ちを察する能力というのも、生きてゆく上で非常に大切だと思うんだ。相手が口に出さなくても、相手の立場に立って、ひょっとしたらこう考えているかも知れないっていうようなね。そういう感受性の力、デリカシーみたいなもの、そういうことっていうのは、僕はものすごく大切だと思うんだ。そういうことを、いつ学んだかというと、ぼくはやっぱりほかの子供たちと遊んでいる時だったと思うんだ。親兄弟からも学んでいるわけだけど。

 

自分が小学校高学年(5ー6年)の時は、

いかに鬼ごっこで逃げきるかと(罰ゲームが恐ろしかった)

野球(巨人戦のすべてをテレビ、ラジオ、新聞でカバー)がもっぱらの関心事で

何か友達付き合いも野球も難しいなぁと思って

やりづらくなったころに

中学に上がるタイミングになり、

一部(1割くらい)は別の中学へ、

そして、他の2校とうちの小学校で融合した中学になり

まったく異なる刺激の数々と混沌に揉まれることになる。

(学ランも部活も周りの恋愛模様も)

小4まで一番だった身長も止まり始める。。。

目も悪くなり、野球が苦しくなる。。。

中間とか期末とか宿題もいろいろ。。。

 

そこで学んだことは、

友達関係とか友情はもろいこともあるし

中心のリーダー格が逆に干さることもあったり

何か付き合いづらくなったり、

急に仲良くなったりと

世の中難しいわからないことだらけだということ。

中学くらいって「自分の暗黒時代」というけど、

みんな多かれ少なかれこのことに同意すると思う。

 

いろいろその3年間であるけれど、

(ほとんど高校でバラバラになり、確か7、8人だけが同じ高校へ)

なんだかんだ言って、

同じ共同体(小中)を過ごしたというのは、

今となってみれば、

かけがえのない支えであり、

成人式や地元などでばったり会えば、

お互い嬉しい顔になる。

 

思い返してみると

しょうもないバカなことや恥ずかしい失敗の数々を

みんなが結局共有しているからこそ

逆に安心できる存在なのかもしれない。

 

 

p.226 「親と子の愛情」

広中 子どもは生まれた時から自己成長の機能を備えていて、本能的にあるものを取り入れて成長して、自然に独立しちゃうわけよ。小さい時には手がかかるというけど、実は、手をかけるという喜びとか、勝手に親が考え出した義務感を満たすためにとか、そのために子どもを利用しているわけさ。たとえば、子供に愛情を与えるというけど、子どもは、愛情なしでも生物としては成長できるわけだ。実は、親が愛情を与える喜びを受け取っているわけだ。愛情を与えて、子どもがいい子に育って行くのを喜んでいるのは親だからね。

小澤 そうそう

広中 向こうはさ、ベイビーだからさ、愛情を与えてもらってるのかどうか、知ったことじゃない。。。。(笑)してくれと、言ってるわけじゃない。愛情なら、愛情がそこにあるから、勝手に取って自然の成り行きで勝手に成長しているわけだ。植物が成長するようなもので、親は水をかけたり、肥やしをやってりして、ああ良い形に成長した、花も咲いた、と眺めて喜んでいるわけだ。

小澤 うん、そうだ。

広中 で、親なんか、いてもいなくてもいってような。。。 子どもは自然の生命力で、自分では無意識のうちに育っているかわだから、親があんなにまでしてやったと思うほど、親を評価しないわけだ。子供の時にはね。子供がおとなになって、ついでに親になった時に、初めて評価する。

小澤 そりゃそうだ。

 

小澤征爾さんといえば、

日本を代表する指揮者で

想像するだけで、笑顔のまぶしい方である。

その小澤さんのこの相槌の入れ方が非常に軽快で

本からでも、彼の笑顔、同感しながら話を聴いている表情が目に浮かんでくる。

 

広中平祐先生(先生とつい呼んでしまう)は、

高校時代に自分のことを何度も救ってくれた数学の野口先生から

いかに広中先生が尊敬するに値する方がずっと聞いていたので

その名前を聞くだけで、

ははっーとひれ伏してしまう。

(パブロフの犬みたいに、刷り込まれている)

 

この会話の収録は1976年。

自分が生まれる前のもので、

著者の方たちは自分の親かそれ以上の世代である。

にもかかわらす、この本を読むと

今の時代にもピタッと来るものばかりで、

何かを達成、達観した人たちには

時代に関わらず、共通する経験や考え方があるわけで、

「孫子の兵法」など昔からの書籍は、

今でも学ぶことがたくさんあるのだと思う。