やわらかな心をもつ
『やわらかな心をもつ ぼくたちふたりの運・鈍・根』
(小澤征爾 広中平祐)
は、間違いなく名著である。
多くの人に読んでもらいたい。
この本は大切な友人が引っ越すときに、
良い本だと残してくれたもの。
友人というか、ポスドクとしての先輩であり
うちら夫婦にとってお兄さんような存在の方で
とても優しくしてもらった。
さて、この本の最後を見ると、
初版は
昭和59年10月25日
17刷の平成15年のものを頂いたようである。
5回は読んでいるが、毎回面白く学ぶことがでてきて
今の研究生活にもまたモチーベーションを上げられる。
メモしているところが多すぎで、どうアップすればよいものか。。。
p.40 「集中力」
小澤 集中力ってのはやっぱり努力だと思うんだよ。
広中 あ、そう。それはちょっと面白いね。
...(途中、面白いが略)
小澤 男一匹、これで食わなきゃいけないなんて悲愴感があったわけよ。その悲愴感と、ラグビーのときの気持とが、こういっしょになって、集中しなきゃだめだとか、これやんなきゃだめだっていう、せっぱつまったものはあったと思う。
広中 うん。そういう環境というか経験によるなにかはあるね。僕も家庭教師やっててね、大学へ行ってたころ。ぜんぜん仕送りなかったからね。で、家庭教師やっておそく帰る時にね、もう、暗くなって、こん畜生!いま勉強してやらなきゃ、と思ってね。これだけ時間ロスしたからさ。
小澤 おお、たとえばぼくもね、あなたに似ているんだけど、家にピアノがないわけよ。そうすると、ピアノ弾かなきゃ音楽の勉強できないから、成城学園の音楽教室は、山みたいなところにあったんだけど、成城は田舎みたいなところだからね。そこへ夜行くわけ。
...
だから、いまでもピアノがあるってことは、とても嬉しいわけね。
広中 わかるよ。
p.41 「叩き込む教育が必要だ」
p.54 「ジェラシーを殺す」
p.56 「自分のペースでやる」
広中 競争心っていうのかな。一人の人間の、成長する過程でさ、ある時期は非常にひとりだちでいかなければならない時があるわけ。要するに誰それと、どう比べてどうのこうのいうのでなく、自分のペースでやるっていうことが非常に大切で、それに実際楽しいわけよね。そうしないとさ、表面的に出たものだけで、比較するでしょう。たとえば一つの数学の理論を作っている場合にしてもね、ある種の理論っていうのはある時にポッと伸びて行ってさ、それから行きづまってね。そのころにまたほかの人の理論がそれまでなんかぐずぐずしてたのがパッと伸びてくるとかね。こういろいろ伸び方の違いがあるわけでしょ。だからある理論がパッと出て注目されると、すぐそこにくっついていく人はさ、いつまでたっても他人の後を追っていることになるわけよ。
小澤 小人で芽が出ない。
広中 かえってね、頭が良くて、なんでもとびついていける人はね、小賢しい仕事はどんどんできるわけだけどさ、ほんとうの独自のもの、自分だけのものっていうのが出てこないよね。ほかの人と比較して誰がそうしたから自分もどうのこうのというような態度というものは、ともすれば小賢しい方へ行っちゃうわけだ。結局自分だけのもの、ほかの誰もにもないっていうものをつくれない。ともかく自分のペースで進んで行ってね、そこになんとか自分独自のものを築いて行く方が、結局長い目で見ると得なんだけどね。
小澤 それはぼくもわかっているつもりだし、わかってる人はいっぱいいると思うんだけどさ、その小賢しいっていうのが普通の人間の本来なんじゃないかね。それがぼくは当たり前だと思うんだよ。それに嫉妬心も入ってくるし。
広中 うんうん