星を作った男 ー阿久悠と、その時代ー

この2ヶ月電車の中で賢と一緒ということもあって

読書量は大きく減った。。。

 

『たんぽぽ団地のひみつ』(重松清)

『棒を振る人生』(佐渡裕)再読

『生命を預かる人になる!』(山口孝夫)

『宇宙飛行士という職業』(柳川孝二)再読

 

『星を作った男 ー阿久悠と、その時代ー』(重松清)

 

言葉・会話は歌から生まれたという説がある。

昭和に生まれ、平成で育った自分たちの世代に

みんなと共有する、音楽・歌は欠かせないものだったと思う。

小遣いを工面して3千円もするアルバムCDを買い、

(千円で2曲のシングルは、滅多に手が出せなかった。。。)

毎週土曜日深夜のCDTVを眠くて日曜日に用事があっても心待ちしたものだ。

貸借りをして、テープ・MDと色々と編集するのも

結構時間もかかり手間であった一方、楽しかった。

 

阿久悠作詞の歌といえば、

高橋真梨子「五番街のマリーへ」

石川さゆり「津軽海峡・冬景色」

ピンクレディ「UFO」

不思議と頭の中にその情景や登場人物が浮かんでくる。

母がコンサートにも行っていてCDも持っていたので

特に高橋真梨子はよく家で聴いて

今でも歌詞を見ずに歌えるくらい覚えている。

最近の紅白で何度か聴いた後、以前はどうだったのかとふと思い

30年くらい前の音楽番組をYouTubeで料理中にかけて衝撃を受ける。

その時に一緒に出ていた沢田研二も眩しくてしょうがなかった。

 

自分たちの世代の場合は、

ポスト阿久悠の作詞となると、

シンガーソングライターが主で

松任谷由実や中島みゆき、吉田拓郎がすぐに思い浮かび、

松田聖子の数々の名曲も手がけている

松本隆はやはり外せない。

 

作詞・松本隆と作曲・呉田軽穂(名義の松任谷由実)

作詞・阿久悠と作曲・都倉俊一

の曲は今聴いても単なる懐メロとは違い毎回発見があって楽しい。

 

その後の作詞は間違いなく、

秋元康

 

作詞・作曲ともにとなると

小室哲哉

つんく

桜井和寿

YOSHIKI

 

一度どこかで聴いた

「打上花火」「Lemon」が

その後頭の中でずっとヘビーローテションしていまい

この曲は何なのかと訳が分からず

それまで全く知らなかった米津玄師が両方を作っていたことを

ここ最近知り、新しい才能に驚く。

今回の紅白のキッズコーナーで初めて聴いた「パプリカ」もずっと耳に残る。

彼本人の歌「Lemon」の演出もとても良くて

あれならNHKホールでは無理だと納得する。

米津玄師のおかげで、

今後の紅白のNHKホール外の歌・演出の質が

(それぞれの歌手のコンサートの抱き合わせから脱却し)

グッと上がってくれるのではないかと期待する。

 

『星を作った男 ー阿久悠と、その時代ー』(重松清)

 のすごいところは、

阿久悠の生い立ちから彼の作品を作るモチベーションを丁寧に

紐解いていくところである。

作家たちは狂気で、

世の中と折り合いをつけるために

作品を書いているのではないかと思わざるを得ない。

阿久悠が自ら示し個人の限界を極限まで引き上げた

テレビ番組・音楽・本の『量と質』の恩恵を受けたのが

自分たちの世代だと思う。

 

一方、歌、作詞・作曲を生かすのは歌手であるが、

平成のナンバーワン歌手は、globe keikoだと思う。

彼女の魅力は、歌唱力のみならず、声色がとても豊富で

自身だとすぐわかるクレジットの声のみならず

松田聖子のようなアイドル曲

水樹奈々のようなアニソン

小室ファミリーのhitomi、trf、華原朋美などを

一人で独占してしまっているようで、

Precious Memoriesやメニクラのようなバラードももちろんできるから

これまでの昭和・平成の名曲を全て物にしてカバーしまう末恐ろしさがある。

「もしも」があるのなら、、、

彼女がglobe中心の活動から幅を広げ、

舞台・ミュージカルや声優にも取り組み

YOSHIKI、つんく、桜井和寿、松任谷由実の楽曲をもしも受けていれば、、

でも、小室哲哉はこの才能を独り占めしたかったのではないか?

と押入れに入り込んでいたテープ、CDやMDの山を片付けながら思う。

 

(今回の投稿は、12月上旬から少しづつドラフトを書き、やっと年越しして完了)

『あきらめない心』『ぼくはこう生きている 君はどうか』

『あきらめない心 心臓外科医は命をつなぐ』(天野篤)

 

自分たちの薬剤開発とは違うようで

同じ目標を目指す外科の人たちの心情がよくわかる名著。

内科、外科、看護の連携が如何に大事かが分かる一方、

現実にはとても難しいことなのだと思う。

 

 

再読

『ぼくはこう生きている 君はどうか』(鶴見俊輔 重松清)

 

鶴見 私が祖父(後藤新平)を抜いたと言えるものが一つだけあるんです。それは勲章をもらわないこと。祖父は勲章をもらうのが好きでね。どんどんもらっちゃうんだよ。(笑)

重松 いまはおカネやモノを増やすことに価値を見いだす時代だけれども、「これだけは増やさない」というものも何か一つ持ったほうがいいかもしれませんね。

鶴見 そう、それそれ。だから私は勲章をもらわないんだよ。(笑)

重松 うちの親父たちの世代だったら、子供に何を買い与えることが親の甲斐性だったわけですよ。いまの時代は、たとえば「子供にはケータイは持たせない」とか、「ゲームの時間を限る」とか、何か減らす方向のものを親の哲学として持っておかないとだめかもしれない。

鶴見 漢文にあるでしょう、「為す有るものは必ず為さざる有り」、それなんだよ。「為す有る」というのは、だいたい世間を主として、世間の評価に合わせるわけだから。だからさっき言われたように、家庭がめざすべき里程標は何か。それが問題なんです。

重松 それは、僕はやっぱり基本的には子供の健やかな成長なんだと思うんです。

鶴見 そう。私は母親に対して一つだけ恩返ししていると思うんだ。それは、自殺に失敗したこと。(笑)

重松 そこですよ。生きるということだけで実はすごいことだと思うんですよ。成績が上がったとか、受験に受かったとかいうことよりも、「元気でよかったね」と。そこが原点だと思うんです。

鶴見 どんな子供でも家のなかでは世界一の有名人なんです。家のなかで無名な子供なんていない。そのかけがえのない財産を大切にすることに尽きるんじゃないかな。それが、家庭・家族の持つ最大の意味だと思うね。「自殺しない」ということが最高の親孝行なんです。

2度目の「蜷川実花になるまで」

p.85

の時できて私が打ち出したいイメージを写真集の表紙にしています。有名にしたい写真、”蜷川=あの写真”と思って欲しい写真は、計画に出しています。自分のイメージをある程度操作するんです。

ただ、撮っている時は戦略的なことは一切考えません。撮っている瞬間は純粋に撮りたいから撮っているだけです。

撮影時は、どこまで不純物を排除し、イノセントになれるか。どれだけピュアな気持ちでシャッターが切れるか。その一点が本当に大切になってきます、逆に、発表時にどこまで第三者的な視点をもてるかといった、両極のバランスをとることが、私の創作活動においてのキモになります。その距離は離れていればいるほどいいんです。中間は入りません。結構、徹底してそうするようにしています。

 

p.106

私の下でアシスタントの経験を積んだから絶対にプロのカメラマンになれるという保証はどこにもありません。アシスタントとしての技術は教えられても、個性は絶対に教えられるものではないですから。アシスタントして有能だからといって、プロになれるわけでもない。私のところからは、アシスタントしての仕事を最後までクリアして、独立した人はまだひとりしかいません。彼女はいま、プロのフォトグラファーをして仕事をしていますが、そこは本当に難しいですね、たとえ、フォトグラファーになれなくても、人としてきちんとした人には育てあげたいと思っています。その後になんの仕事に就いても大丈夫なように、常識ある人間になって卒業してもらえればと。

 

 

知恵と切磋琢磨の結晶

www.jst.go.jp

大きなビジョンを共有し、

皆で切磋琢磨し知恵を集めれば

必ずブレイクスルーが起き成果が得られるということを改めて教えてもらった。

合田さん、新田さんや杉村さんたちのマネージメント力からも

今後もこのプログラムから大きな成果が期待されるので乞うご期待。

 

転換点

ダウン症を知ったのは、小1。

仲良く遊んでいたお隣の友達が同じ小学校に行けないことの

意味がずっとわからなかった。

その後、その友達のそっくりさんを

何度も街で見かけて不思議でしょうがなかった。

今になって、少しだけ理解できるようになった気がするが、

ただ今だに容姿が似るメカニズムがよくわからない。。。

 

ヒト・赤ちゃんが死んでしまうことを知ったのは

小学校2年の時に友達の家に行って、赤ちゃんの遺影が飾ってあって

その赤ちゃんが友達のお兄さんだったと知った時。

それまでは、ヒトは皆元気に生まれ、

60歳くらいまでは生きるものだと思い込んでいた。

 

親が変わることを知ったのも、小2の時。

突然友達の姓が変わったとホームルームで先生に伝えられ、

新しいお父さんが来たと教えてくれて遊びに行った時に

これまで会ったことないおじさんが友達の家の居間で横になっていて

よく意味がわからなかった。

 

脳が病気になると知ったのは中2の祖父の脳梗塞。

 

身近で自殺が起きたのは学部4回生の時。

未だに『自殺』という漢字を選んだ先人たちのセンスがわからない。

なんでこんな無機質な冷たい二つの漢字を選べるのだろうか?

 

十字架

『十字架』(重松清)

 

自分も大小違うとも二つは十字架を背負っている。

それは重荷で下ろしたいというより、

自分はこれからしっかりやっていかないといけない

最後の砦・支えになっていると思う。

 

うちの子供たちも多かれ少なかれこれから学校で色々とあるだろう。

自分がこれまでやって来れたのは、

何気ない親との会話で救われたことは多かったと思う。

自分がそうなれるのか、逆になるのか

試されているな、と思わされる作品だった。

 

今は、

『がんと闘った科学者の記録』(戸塚洋二著・立花隆編)

を読んでいる最中。

 

『知的ヒントの見つけ方』

『四次元時計は狂わない 21世紀文明の逆説』

はすでに先週までに読破。

学生の頃は、真面目に授業には行っていなかったけど

ルネの書籍で立花隆作品を見つけてはサイエンスの勉強ができていたのが

今のベースになっていると思う。

『宇宙からの帰還』も名著で、

これのおかげで学部の卒論にもつながり、今の興味に至る。

また今度読んでみようと思う。

 

 

 

 

調律

先月一時帰国した時に母に勧められた

『羊と鋼の森』(宮下奈都)

を読み終える。

自転車もピアノに似ているところがあるかな、とふと思った。

 

僕には才能がない。そう言ってしまうのでは、いっそ楽だった。でも、調律師に必要なのは、才能じゃない。少なくとも、今の段階で必要なのは、才能じゃない。そう思うことで自分を励ましてきた。才能という言葉で紛らわせてはいけない。あきらめる口実に使うわけにはいかない。経験や、訓練や、努力や、知恵、機転、根気、そして情熱。才能が足りないなら、そういうもので置き換えよう。もしも、いつか、どうしても置き換えられないものがあると気づいたら、そのときにあきらめればいいではないか。怖いけれど。自分の才能のなさを認めるのは、きっととても怖いけれど。

 

「才能っていうのはさ、ものすごく好きだっていう気持ちなんじゃないか。どんなことがあっても、そこから離れなれない執念とか、闘志とか、そういうものと似ている何か。俺はそう思うことにしているよ」

柳さんが静かに言った。