Tomato juice without ice

昨日のBostonからDullesへの飛行機で隣の人が、

"Tomato Juice, no ice, please"

と言ったので

自分も、

"Tomato Juice without ice,,, No ice, please"と伝えたら

180cmくらいあるCAさんはそれまでクールな感じだったのに

めっちゃ笑顔で、"Alright, wait little bit"と言ってくれて

2回も戻ってきて"I will make it for you at the back. it's coming soon"というから

『ああ、tomato juiceは後ろにスットクがあるのか』と

のんびり待つこと5分ほどくらい、、、

再度、同じ笑顔で戻ってきてくれて、"Enjoy!"

 

飲んだら、辛いー!

 

『あれあれ、俺の舌、寝不足でオカシくなったか?』

『このトマトジュースが傷んでて、舌が痺れているのか?』と思いつつも

ラップトップで仕事中なのでで置くところがなく飲み干す。。。

舌・口のなかはヒリヒリ。。

 

んー、これはどういうことかとボケーっと考えていると

ああ、自分の発音が悪くて

"Tomato juice with spice"

と伝わったのかとやっと気づく。。。

降りるときも、そのCAさんは笑いかけてくれていた。

『あのJapaneseは結構、通だ』とでも思ってくれていたのだろうか。

それともよくある間違い?

これからは、"Tomato juice, NO ice"をお勧めします。

 

4月に『ないものねだり』(中谷美紀)を読んでいたら、

『疾走』(重松清)のくだりがでてきたので

4月の一時帰国の際に、上下巻を購入。

読んでビックリ、いつも以上に通勤の間没頭するのだが、

こんなに読後感が重い、重松作品はこれまでなかった。

朝からしんどい。

こんなヘビーなものを書いているとは思わなんだ。

もうやめようと思っていた、

『少年A』や『加害者家族』のような内容だったので驚いた一方、

この『疾走』にはフィクションとも思えない

実際起きたことのような、儚い夢のような、事件に巻き込まれたような

不思議な世界が頭に残った。

手越くんで映画化されているが、

観る勇気が出るまで当分かかるだろう。

 

空より高く

『空より高く』(重松清)

 

電車のなかで

ふふふと笑い

涙がでかけ、

うんうん、あるあると納得する。

重松作品ではベスト!と言える好きになるものだった。

フジモトさん・ピエロさんに、ジン先生、

そして、ドカ、ヤノジやムクちゃん、ピース軒。

自分にもこれまでそんな存在があったな、と思い返せる。

重松作品の大きな特徴は、

登場人物が作品後もずっと自分の中で息をしていて

たまにちょろちょろと顔を出すところだと思う。

「重松清さん、あなた天才ですよ!」と本人に言えれば、

『いやいやそんなことないよ』と言いながら

(そうかな、やっぱりって)照れているのが思い浮かばれる。

こういった作品たちは、

当の高校生や小・中学生、大学生たちにはピンと来ないのだろうし、

自分自身も30代最後この1、2年で重松作品の素晴らしさ・面白さに気がづいた。

今回は、本棚を見てみると、重松作品の15冊目のようだ。

全部彼の作品を読めるのだろうか?

 

2月もそろそろ終わりか。。

2月1日に日本から戻ってきて、

イオンで節分の豆まきセットを買ってきたのだが、

成と凛奈に思いっきり豆を投げつけられかなり痛くて後悔する。

あいつら、本気だった(日頃の恨みの仕返しか何かか?)

その後、数日間、鬼のお面を気に入った凛奈が繰り返し現れ怖い思いをする。

度々身の引き締まる思いになったのは、節分のお陰であった。

 

リビングルームで室内練習をするため

2m x 2mの野球用のネットを成にプレゼント。

日本ではあまり使わないheavy ballでの

投げ込みとトスバッティングの効果もあってか

この数週間で肩や胸周りに厚みがでてきたようで、

春からのチーム参加が楽しみになってきた。

何かに打ち込むという経験があれば、

これから先、成も成長していくことだろう。

凛奈はgymnasticsのようである。

賢は何をするんだろうか。

 

 

『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』(高橋安幸)

 

かなり面白く勉強になった。

こんな人が存在するとは驚きとしか言えない。

野球ファンであれば、根本「監督」の名は知っていても

彼の人となりは自分たちの世代ではあまりわからない。

彼の名前は、森『参謀』・落合『采配』で出てきていたこともあって

ずっと気になっていて

本屋でみつけたときには即買いであった。

 

 

『蜷川実花になるまで』(蜷川実花)

 

本文自体は10年以上前のものだが、

今でも響くものばかりで、

クリエイターとしてどう考え、作品をどう作っていくかが

よく伝わってくる名著で、

読みやすさからもとてもオススメ。

あと1年後くらいにもう一回読むと思う。

自分の研究にもいくつもヒントを与えてもらった。

 

 

『プロ野球のお金と契約』(大家友和)

 

野球ファンには必読であり、

米国に居つくつもりの人には学びの多い新書。

「リアル」というタイトルがもっともふさわしい本である一方、

大家という投手を再評価するよいきっかけになって欲しい。

 

 

 

皆既月食

今でちょうど半分くらい月食。

両国のホテルの部屋(23階)の電気を消して

椅子に座って様子を見上げる。

こういった帰国の機会だったからこそ見られたと思うと

なかなか感慨深い。

すぐ横には東京スカイツリー。

 

読書中なのは、

『天才』(石原慎太郎)

『エキストラ・イニング 僕の野球論』(松井秀喜)

 

そのあとは、

三島由紀夫、夏目漱石などを読み返そうか。

 

この2週間の一時帰国では

とても寒かった松本以外(氷点下13度)、

毎朝30−40分走ることができて

体調管理や勉強もうまくリズムが作れた一方、

これから当分はラボに腰を据えて実験に集中する毎日を送りたいな。

 

自己啓発本のまとめ 『ラストレター』『ヨチヨチ父 とまどう日々』

ーこの数週間のまとめー

 

自己啓発本をかなりの数を読んできて、やっとわかったことは、

表現する言葉は違うにせよ、

共通されている要素があり、どの職種でも役にたつということで

もうこれ以上読んでも新しく得られないなと。

 

嫁さんに「あんたが買う本はつまらん!手に取る気にならない!」と言われて

かれこれ5年、やっと自己啓発本の購入の終焉である。

今回の帰国中に本屋に寄っても、

もうこういった自己啓発や新書コーナーに寄らなくなってしまった。

 

これまで自己啓発本として繰り返し読んできたのは、

下記の将棋、スポーツ、ビジネス分野で

 

羽生善治、谷川浩司、米長邦雄、落合博満、森繁和、野村克也、岡田彰布、金本知憲、黒田博樹、長谷部誠、

青木功、三木谷浩史、藤田晋、見城徹

 

これからは何かのときにまた読み直してみようか。

 

今回の帰国中で神戸三宮のアパホテルに泊まったときには、

部屋に置いてあった

『強運 ピンチをチャンスに変える実践法』(元谷芙美子)を読む。

明石家かますと大学・大学院の話は特にとても素敵だった。

 

これまで自己啓発本が本棚から手に取り易かった理由は、

百田尚樹『大方言』で指摘のある通り、ズバリ、

栄養剤のように、

読むと、

元気になる(気がする)

自分もできている(気がする)

いや、自分ももっとできる(ような気がする)

のである。

読んで疲れない・元気になりやすいからだったのだろう。

 

数々のヒントをもらいつつ

実際の自分の研究などに如何に落とし込むのか

効き目が落ちないように、具体的な整理・対応ができたことで、

習慣化できるようになったと思う。

 

 

この数日は、移動の合間に、

『君の脾臓を食べたい』(住野よる)

『ラストレター』(さだまさし)

『ヨチヨチ父 とまどう日々』(ヨシタケシンスケ)

『錦繍』(宮本輝)

『英語の品格』(Rochelle Kopp 大野和基)

『永遠のゼロ』(百田尚樹)

 

 

『永遠のゼロ』(百田尚樹)

『君の脾臓を食べたい』(住野よる)

を読んで、

これから小説を買う、映画を観る場合は、

「登場人物が死なない、殺されない」をルールにしてみようかと思う。

誰かが亡くなれば、悲しいし、辛く・泣きたくなるものだろう。

機内での映画『三度目の殺人』を観たあとにそう決めようと。

もうやめよう。

 

これまでの、

『「少年A」この子を生んで......』(少年A父母)

『息子が人を殺しました 加害者家族の真実』(阿部恭子)

の流れはここで終わりにしようと決める。

自分自身が被告になる可能性はかなり少ないにしろ、

突然自分や、家族や子供が被害者としてや被告として

事故・事件もしくは天災に巻き込まれるといった

全く想定していないことも人生に起こるかもしれない。

最悪の最悪を考えて、一度はこういったものを読まなくては、

と思っていたが、

何せ読後の気が重い。

最悪の事態・可能性も考えなくてはいけないのだろうが、

想像以上にその後の胆力が必要で

読み方を間違えると飲み込まれる難しさのある

映画・書籍であった。

 

『ラストレター』(さだまさし)

「この、オxxxヤローっ」て叫ぶ、大越さんって

あの、憎っくき「。。。」と一緒ではないか!

繊細で気が優しいくせに、強がり・卑猥な単語を連呼するところなど全く一緒である。

それだけに、大越さんには身近に感じる愛着もあって最後まで楽しく読めた。

 

『ヨチヨチ父 とまどう日々』(ヨシタケシンスケ)

は、電車のなかで、

「そうそう」と納得して、ついつい笑ってしまうのだが、

NYに戻って、嫁さんや妹に読んでもらったら

「まぁ、そうそう。だから、ダンナ・お兄ちゃん、使えない!」とか言われて、

間違いなく、とばっちりを食うことだろう。

見せるべきか、どうしようか、迷う。

間違いなく名著(世の中のお父さんにとっては、迷著)

『なつみはなんにでもなれる』の次に好きな作品。

 

『錦繍』(宮本輝)

を先ほど読み終える。

今回の帰国の最中に宮本輝を手にとったのは、

「宮本輝が好きだ」と言っていた先輩の言葉を

ふっと思い出したからである。

以前に比べて、書店内でスペースが少なくなっているのには気づいていたが、

岡山駅で時間調節をしているときに駅内の本屋さんに

『錦繍』だけが置いてあった。

昭和57年の作品。解説は黒井千次。

 

『英語の品格』(Rochelle Kopp 大野和基)

ある程度のレベルまで英語が到達している、

米国社会に溶け込み始めている人向けであり、

内容の半分は、自分でも実経験から使うようにしている表現だったのだが、

それが定着できるようになったのも

ラボをスタートして最初に入ってくれたDanくんが

丁寧な英語をいつも使っていてくれたおかげである。

彼の英語を真似ようとしていたうちに身についていた表現が

本書にはいくつも記載されており、Danくんには改めて感謝である。

 

年の暮れ

この1ヶ月で読んだ本は、

『日本語トーク術』(斎藤孝 古舘伊知郎)

『参謀』(森繁和)

『成功のコンセプト』(三木谷浩史)

『大方言』(百田尚樹)

『バッタを倒しにアフリカへ』(前野ウルド浩太郎)

『あの歌がきこえる』(重松清)

 

いつもの通勤時間と、日本へ行った際の空港や飛行機の待ち時間や都内の移動で

結構なペースで読めたと思う。

 

今は、

『恍惚の人』(有吉佐和子)

を読んでいる最中。

 

次には、

『息子が人を殺しました』(阿部恭子)

『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』(高橋安幸)

などが控えている。

 

行きの機内でみた『We are X』に衝撃を覚える。

パンクロック系は、最初から興味がなかった一方、

Xで耳にずっと残る好きな曲もあったのでずっと気になる存在だったのだが、

このfilmで何か紐とけたような

言葉で表すことのできない感情、記憶が残るものだった。

今でも、この人たちの歩んできたストーリーは、

何かfiction/小説を読んだような後味に似ていて

非現実のようだからこそ、彼らとその音楽に惹かれるのかなと思った。

うまく、言葉にできないとしか言えない。

 

それと食事をしながら『トリガール』を観ていたが、

見る前に思っていたよりとても面白く

土屋太鳳の自転車のフォームがとてもとても綺麗で、

ゲーセンでのダンスもうまく

(いつもは、声も表情もおっとりした感じなのに)

つい『すごい!』と唸ってしまった。

これまで『下町ロケット』の

阿部寛のちょっと生意気な娘さんのイメージばかりが残っていたのだが、

さすがは、今をときめく(今年は主演4本の)女優さんだと痛感する。

 

3rd grade field trip

今日は、成の学校(3年生)の遠足の付き添いとして

マンハッタン南部へ。

New Yorkのこれまでの歴史や

何故Wall Street、Water St.、 Beaver St.、Peal St.やBowling Greenという名がついたかなど

色々とガイドの人に習いながら移動の連続。

世界各地を回ったセイリングシップに乗ったり、

Portal down to Old New Yorkにも寄る。

 

9時半から3時半まで座ったのは昼食の5分間だけ

あとはずっと歩いたり立って説明を聴いたりで

とてもよいエクササイズだったと

担任の先生と笑いながら帰ってきた。

とても勉強にもなったし、心地よい疲れだった。

 

 

今は通勤時間で、

『羽生善治 闘う頭脳』羽生善治

を読んでいる。

これが3か4回目だったと思う。

 

P. 17

。。。そのときに大事だと思ったのは、たとえ間違いでもいいから、それぞれの戦法に対して、とりあえず大まかな見通しを立てる、ということです。一見華やかだが、この戦法はそれほど先がないとか、多少の可能性はあるとか、1年後にはより研究が進んでいるからその時考えようとか。そして、自分のスタイルに合っているかいないか。未知の情報に出会ったときは、それが自分に必要なのか、大まかに見通すということですね。

 

P. 35

大山先生のように、「落ちたら引退」とおっしゃていたのは、大きな負担になっていたとは思いますが、逆にそう言い続けていたからこし、地位を守りつづけられたのかな、という気もするし、微妙なところでしょうね。

 

P. 45

ところで、将棋の世界において「頭が良い」「頭が悪い」とは、定跡や手順といったもともと有している知識に対する理解をどれだけ深める力があるか、で評価されます。まったく知らないものに対して適応する力の多寡で決まるわけではありません。

また、将棋では、はっきりした答えが出ないものについて考え続ける能力が必要とされています。もちろん、答えがわかっているものを他人よりも速く解析できる、という能力も必要ないわけではありませんが、情報を分析して答えを見つけることは、時間を費やせば誰にでもできます。その時間を費やさない人もいますが、それはまた別の話です。時間さえ費やせばそこで差は生じないので、結局はわからない部分でいかにして相手より半歩先に出るかが大事になってくる。だから、実際にプロ棋士としてやっていくには、すっきりしないままで、先へ進んでいけるかどうかが大切な能力とされていて、その能力がある人は「頭が良い」ということになるのです。