雨の一日

やはり、全身筋肉痛。

成は全く肩に疲れがないようである。

あれだけずっと長い時間アメフットボールを投げ合っていたのに痛みがないとは。。

 

成のピアノのレッスンの間、20分『火花』を読んだ。

他の40分は、ラボのプロジェクトをノートにまとめて整理した。

 

世の中にどれだけの同年代でいるのか知らないが、

自分は携帯フリーの生活をずっと続けている。

一応は持ってはいるが、いつも家に置きっぱなしか

電源が切れたままバッグのどこかに入っている。

3週間以上切れたままでどこにあるか忘れてたこともある。

稀にだけ嫁さん(スマホゆーざー)にかけるだけ。

でも、つながったためしがあまりない。。。

持っているのは連絡先が書けないと困るからだけ。

 

どんなによく考えても

携帯(スマホ)を持って使っても

自分の研究・仕事に対してポジティブな要素が見当たらない。

ラボにいるときはずっとミーティングや実験に時間を費やしていて

仮に携帯をもっていて鳴っても取れない場合がほとんどなので

部屋に連絡を入れてもらいメンバーに言付けをしてもらった方がよい。

以前、携帯が鳴るとその後気になってしまい

かけ直すまで大事なミーティングや用件に集中できなかった

危ない・苦い経験があった(実験中や運転中など)。

 

ミーティング中に携帯に出るのは、今でもマナー違反であろう。

 

もっぱら、公園や遊園地でスマホにくいつくお父さんたちは、

子どもたちがお父ちゃんのスマホ中の反応がとても薄く

いい加減なののをよく知っていることにちゃんと気がついていないと思う。

 

成になぜポケモンGoなどのゲームもできるスマホを持っていないのか聞かれたときに

「お父ちゃんが携帯ばかりみて成の話をあまり聴いてくれなかったらどう思う?」

と聞いたら、

「それはいやっ」と即座に答えていた。

 

以前、コニーアイランドで、

娘がメリーゴーランドに乗っているのに

隣のお父さんはスマホをずっといじっていて

その娘さんがまわってくる度に最初は手を振っていたが、

途中からスマホに釘付けでまわってくる娘さんに目もくれなくなった。

その娘さんが手を振ろうとして悲しい顔をしていたのが忘れられない。

そのお父さんにはそこまで悪気はないと思うが、

自分が仮にスマホをもっていたら子どもたちに同じことを必ずしてしまうと思う。

自分がワークホッリクでマルチタスクができないのがわかっているだけに、

スマホを持ったらおしまいな気がする。

 

<90歳まで現役のために>

1)焼酎を毎日少し飲む

(焼酎がない場合は、ウォッカ、ウィスキーもしくはワイン)

ビールやシャンパンは身体が冷えてしまう(頭痛が最近増えた)ので控える

2)ナッツ類、酸っぱいもの(レモンなど)、苦いもの(生姜など)を毎日食べる

3)汗をよくかく

4)水をよく飲む

5)よく話す

 

<運動>

腕立て30回

90歳まで

90歳まで現役研究者でやっていこう

(もしくはあと50年以上研究ができる)と考えると

色々と今のことやこれからのことについての視点が変わって面白い。

 

身近に中西香爾先生がいらっしゃるので、

現実に可能だというイメージが湧く。

 

学内のシニアの教授と

『Do you know Koji? He is so amazing!』などと話題で盛り上がり

本題の研究予算の話そっちのけになったこともある。

中西先生こそ、我々のレジェンドであり、目標となる方である。

 

今のコロンビア・ニューヨーク生活だと

自家用車に頼らないで生活(通勤・買い物・食事)ができるので

90歳まで現役が出来る気がする。

まずは健康第一。

 

『火花』

飲んだ後に、吉祥寺から上石神井へ歩いていくシーンがあり、

あの道を歩いっていったのかなと、イメージがとても膨らんだ。

仕草や風景描写などが所々入っていて、

それらが、徳永・神谷のどういった心情を表しているのか理解したく、

いつもよりも丁寧に読むようにしている

 

『皇室の祭祀と生きて』

正月行事の慌ただしさの一方、

一つ一つの食事が目に浮かび、味や匂いが伝わってくる。

「次清」についての手順は、非常に勉強になる。

丁寧な言葉使いによる説明から、

一つ一つの作業、手順が真に伝わってくる。 

 

<運動>

午前、学校が休みの凛奈を連れて、セントラルパーク周回バイク(トータル40分)

夕方、ラン35分(from lab to home)

帰宅後そのまま、成とアメフットの練習1時間半

(明日肩が上がらないことだろう。。。)

火花

今は、下記の2冊。

 

『火花』(又吉直樹)

『皇室の祭祀と生きて』内掌典57年の日々(高谷朝子)

 

『娘に語るお父さんの歴史』(重松清)を踏まえて、

自分にとっての歴史とはなんだろうかと考えている。

子どもたち、成、凛奈、賢の3人に、

「お父ちゃんは、日本でこんな風にこんな時代を生きていたんだよ」と

話をする機会があるといいな。嫁さんも交えてわいわいと。

 

子どもたちは、日本と中国のハーフで、かつ米国生まれ・育ち。

 

自分や嫁さんの価値観や育ってきた環境を子どもたちと共有するのは

とても困難なことだとはわかっている。

日本と中国と国は違っても、

うちの夫婦は似た者同士で

笑い話の多い、、、雑草のような無謀な子ども時代を過ごしてきたようである。

(何度か、行方不明か命を落としてもおかしくない出来事が多々ある)

 

子どもたちの日本語の読み書きには、特に力を入れていない分、

このブログを子どもたちが将来読んで、

お父ちゃんが言ってたおもしろそうな本を読むために日本語を少しやってみるか、

と自発的に勉強してくれれば、それに越したことはないと思う。

日本の書籍はやはり米国よりも充実していると感じている。

週末を日本語の学習・補習校に費やすくらいならば、

近所のセントラルパークやリバーサイドパークを探索し、

走りまわり、サッカーなどスポーツに汗を流す子ども時代を過ごして欲しい。

 

自分の思い起こせる子ども時代からの出来事・アイテムなど:

 

ファミコン

ビックリマンチョコ

エリマキトカゲ

コロコロコミック

週刊少年ジャンプ

千代の富士

小錦

バース・クロマティ

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(宮崎勤)

昭和から平成

消費税

湾岸戦争・掃海艇・自衛隊派遣

雲仙普賢岳噴火

米不足・タイ米輸入

非自民党政権

阪神・淡路大震災

オウム真理教・地下鉄サリン事件

マイケル・ジョーダン

野茂メージャー移籍

神戸連続児童殺傷事件

冬季長野オリンピック

ユーロ

新潟県中越沖地震

東日本大震災

 

<運動>

腹筋20回

 

核家族

 

東芝って、東京芝浦の略だと知らなかった。

 

「核家族」というネーミング、

日本のオリジナルなのかと思いきや、

「nuclear family」で検索できるように

欧米でも使う言葉だと知った。

この10年近く「nuclear family」って

実際に耳にしたことがなかったので驚き。

 

自分は、とても幸せな時代を生きていて

運がとても良いと思う。

親戚一同、子どもたちには成長に関わる深刻な病気もなく

家族もみな大病もなく長生きしている。

家族全体、疾患の大きなリスク遺伝子変異が少ないのかもしれない。

(唯一気をつけるべきは、糖尿病であろう)

 

ラボの本棚にある

『流れる星は生きている』(藤原てい)

に目をやると、その思いは一層強くなる。

母が以前、

うちの高校の保護者会主催の藤原ていさんの講演会に行ってきたと

話していたことが思い返される。

どんな話だったんだろうか。

父と同じ長野県出身、

そして、次男である藤原正彦さんは同じ西高出身ということもあり

『流れる星は生きている』(藤原てい)は定期的に手にとることにしている。

 

<運動>

ラン40分

腕立て30回

子どもたちとアメフットやサッカー

娘に語るお父さんの歴史

この1週間、ひどい風邪を引いたため、本もあまり読めなかったが、

『娘に語るお父さんの歴史』

(重松清)

を一気にこの数日の通勤時間で読んでしまった。

 

3人目の『賢(Ken)』が産まれたばかりの今の自分にはとてもしっくりくる内容で、

先日の『ぼくはこう生きている 君はどうか』

からの流れを汲んだ選択だった。

 

30代前半に『きよしこ』を購入したが、

結局のところ一昨年まで全く手が本棚に伸びず、

いつ読む機会になるのかと心配だった。

ところが、2015年の『きよしこ』を皮切りに

『ビタミンF』『とんび』『その日の前に』『ゼツメツ少年』

と日本に一時帰国するときには必ず1冊何か購入することにしている。

『きよしこ』を読むきっかけがどうだったかは思い出せない。

本棚を整理していてみつけたので、

「せっかくだから」くらいだったのかもしれないし、

2015年ドラマの『流星ワゴン』忠さんのおかげなのかもしれない。

 

重松清という作家がいる時代にいてとても運が良かったと思っている。

小説を読むと「豊か」になれる。

 

小説のなかの色々な人たちを垣間見て、

自分はどうかどうだったかどうなるのか比べそして考える。

 

答えがどこかにわかりやすく有るわけではなく、

人生がただ幸せや悲しみだけに分けられるのでもなく、

何か靴の中にちっちゃい石が入っていて

それがとても気になるときもあるけど

結局、取り除けないまま、そして歩いている。

 

『娘に語るお父さんの歴史』

 

核家族

p.66

「なるほど、核家族とは、やはり絶妙なネーミングだ。細胞の『核』はどんどん大きく育つわけではなく、しかるべきタイミングで分裂するのだから」

 

保育園と幼稚園

p.87

「保育園は厚生労働省。要するに社会福祉なんだ。幼稚園は教育機関で、だから保育園の先生は保育士さんだけど、幼稚園の先生は、学校の先生と同じなんだ」

 

p.145

東京芝浦電気(現 東芝)

 

p.177

「子どもは未来なんだ。未来を生きるのが子どもの役目だ。未来が幸せだと信じることは、子どもが幸せになると信じることでもあるんだよ」

 

p.186

「カズアキには、お父さんやお母さんのような苦労はさせたくないんだ」

 

p.192

「急がなくてもいいから、いつか、おとなになれ。

おとなになったら、幸せが増える。

幸せに勝ち負けを求めなくなり、幸せの数を増やすことができるのが、おとなだ。

どうだ、おとなってけっこういいだろう...と、おとなになったからわかるのだ。」

「共同体」「教え、教えられ」「村八分」

「共同体」

著者たちの議論では現代失われつつあるものと取り扱われている。

ただし、自分のことを振り返ってみると、

自分には様々な「共同体」がこれまであって、

これからも大事な存在になっていくものだと感じる。

 

小4から自宅浪人まで過ごした、中野区白鷺

 小中:野球

 高校:バスケ部、生物クラス

大学/大学院で過ごした、京都と仙台

 サイクリング部、自転車競技部、歓山荘、家庭教師、塾講師

ポスドクの5年間を過ごした、スタンフォード

 

今は、ニューヨーク

 アパート、研究仲間

 

著者たちが述べる、

「西郷隆盛と大久保利通」を輩出した「下加治屋町」とは、

友情だけでなくて、

何か特殊な共同体ができるということではなくて、

自分のいる共同体内の「見える」「想像できる」人たちとの

『切磋琢磨』が大事なのではないかと思う。

 

自分にとっての最初のそういった経験は、

地元公立小学校が一緒で知っていた(1つか2つ上の)先輩が

高校受験を経て、

その後「大学への数学」で扱われていているのを知って、

こんなわけのわからん数学がどうして解けるのか?

なんでそんな難関校に入れるのか?と

急に勉強への意識が変わった経験がある。

バスケや自転車、研究でも同じ経験があった気がする。

彼らができるなら、自分もできるのではないか?

それは、

ライバルという表現よりも、

切磋琢磨するという表現がしっくりくる

 

「教え、教えられ」

ラボのメンバーに教え、教えられ、

子供を育て、子供に育てられ

 

今、自分は誰かと切磋琢磨しているのか?

自分だけではなく、周りも引き上げる存在にならなくては

 

「村八分」

語源を全く知らなかった。恥ずかしい。

 

「ルール」

15分は難しく、20分かかった。。。